ⅶ
がこん。 夕日を眺めながらボーっとしていた俺だったが、暫く経ったころ、屋上の扉が開いた。
「うー……さむぃ」
そんな言葉とともに誰かが屋上にやってくる。
この声は……
間違いない。空だ。
「別に休憩時間にこんな寒い屋上来なくてよくね？」
続いて後から海も入ってくる。
「だって室内締め切って空気篭ってるからさー」
ばたん。
そして扉が閉まる音。
……しばらく中には入れないな。
入ろうとすれば二人の眼の前で勝手に扉が開くさまを見せる事になる。
ちょっと寒いが、普段毎日といっていいほど行動をともにしているこいつ等がいるのは嬉しい事だ。
「つか、俺等金取れるかなー」
「こんな頑張ってんのに銀だったりしたらマジへこむよー……」
いつもどおりの
でも。
「吹きすぎて腹筋痛ぇー」
「唇はれてタラコになったらどうするよ？」
空も、海も、当たり前だがその視線を俺に向ける事はない。会話は二人の間で交わされるだけ。勿論俺は蚊帳の外。
居るのに、居ない。溶け込めない。
まるで自分だけ空気になったみたいだ。まるで自分だけ異次元に飛んだみたいだ。
……俺このまま戻んなかったらどうしようなぁ……。
俺は、徐々に二人の会話が耳に入らなくなり、ただ考え込んだ。
取りあえず暫く行方不明って事になるだろうな。
死んだ痕跡が残らないんだ。もし、その辺で野垂れ死んでも誰も気付きはしない。
親は悲しむだろうけど、元々仕事に忙しくて会話する暇もあまりないぐらいの生活なのだ。すぐ立ち直ってくれそうな気がしてしまう。
学校の方も俺なんてしがない教科係だし、別にいなくなったって問題はない。同じ教科にもう一人教科係もいるし、もともとサボって仕事を押し付けてばかりいたからだ。今更負担が増える減るも無いと思う。
友達も別に多い訳じゃないし、そもそも俺が友達だと思ってても相手はどう考えてるか分からない。
俺は別に頭が良い訳じゃねぇし、運動神経が言い訳でもない。絵が上手い訳でも、モテる訳でも人望があるわけでもない。
特に目立った長所も、誰かから期待をかけられるなんてことも将来性も何にもない、極、地味な一般人だ。
そんな俺が消えたって世の中なんて変わるもんじゃないだろうし、やはり誰か困る奴が出てくるとは思えない。
精々、俺が消えた事なんて地方版の新聞の片隅に「少年、行方不明！！何処へ消えたか！？」みたいな感じで小さく載って終わりとか、そのぐらいのもので済んでしまう気がする。
別に俺は世界に要らない。
……俺、このままでもいいかもな……。イタズラも楽しいし……。ホント別に俺、一人ぐらいいなくても……全然大丈夫じゃん……。
空しさと寂しさが思考を閉める。無理やり自分で諦めようと、納得してしまおうと考える。
諦めを感じてしまえばもう、無気力感、脱力感しか感じない。
……何か遺書ぐらい残しといた方がいいかなぁ……。
時折、眼の前からあいつらの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
どうせこいつ等も俺のことなんかすぐ忘れられる。
ずっと一緒に居たけど、行方不明なんて死んだと同じ。たとえ最初は悲しんでくれたとしても、立ち直らない人間は無い。
世の中なんてそんなもんだよ。きっと。
容赦なく真冬の寒風が顔に吹き付ける。
そういえば泣いた方が楽になれるんだっけ……。 確か辛い時は、それを脳に感じさせる成分が涙に溶け込んで流れ出すから、人は泣く事で楽になれるんだとか。どこかで聞いたあいまいな無駄知識だ。
こんな時ぐらい泣くのもありだよな。そしたら諦めもつくかもしれない。
俺は目を閉じ顔を伏せる。
………くそっ…… 人に見えないこういう時ぐらい泣きたいのに涙も出てくれない。
「風強いなー」
「おう」
「そういや今日、謎の怪奇現象が相次いで発生したらいしいぜー」
俺が一人で悶々としている横で、空気が全く異なった会話がどんどん流れていく。
「あぁ俺、前の休憩で外出た時、科学部の奴らと野球部の奴に聞いた。」
「あ、それ突如、薬品の中身が瞬間移動したり急に笑い出したりしたやつだろ？」
「眼の前で羊羹が消えたりとかな。」
「あーあとさ、あと絵の具が消えたりとかもしたって言ってた。」
「サッカー部じゃボールが急に走り始めたっていってたらしいぞ？」 それ、実は全部、俺がやったことなんだよ。俺は会話に入りたくて仕方がなくなる自分を必死で抑える。
声を出してしまえば、二人はきっと驚き慌てるに違いない。パニックを起こすに決まっている。
「んでも、そんな事あるわけねぇだろ？」
「いや！ この世にはまだ未知なるエネルギーが……」
「んな、オカルトしらねーよ！」
何気ないボケ、突っ込み。今まで、こんなくだらない事で何気なく皆と笑っていられたのに、今は声を立てることすら出来ない。
「でも怪奇現象ってよりイタズラって感じじゃね？」
「あー。人を驚かそうって魂胆が隠れてそうな感じだよな」
……独り、か。
別に独りでいるのが嫌いな訳じゃない。どっちかって言うと俺は好きな方だ。
でも……さ。何つーかさ。こう……
人に自分の存在を認めてもらえないってことはやっぱきつい。
「俺等の前でも起きたりしてな」
「起こったら面白いのにな」
顔を見合わせて笑う二人。俺が居なくたって、二人は変わらない。俺の存在は、居場所は、カラダが色を失ったのと同時に消えてしまった。
今の俺は、ただ透明な空気と同じ。ある様で気づかれない。
戻る方法なんて分からない。俺はきっとこのまま存在の消えたまま生きることになる。それなのに二人に声をかけてしまえば、たとえ受け入れてくれたとしても迷惑をかける危険性は大だ。
俺はもう、二人の会話を聞いていれなくなって立ち上がった。幸い屋上は広い。声が風の音に負けてしまうぐらいの距離を置こう。
背を向けて俺は貯水タンクの影をまわる。
「でもさ」
偶然、去ろうとする俺を呼び止めるかのような、空の一段と大きな声が聞こえた。
「これ、イタズラだとしたらさ。センス、
自分の名に立ち止まる俺。
「ああ。つか昔、陸が透明人間だったら出来るのに、って言ってたイタズラがこんな感じだったよな」
「だろ？ 昔は公園とかでよく悪餓鬼やってたよな。三人でさー」
あの頃は今と違って勉強もいらねー
し楽だったと海も言葉を続ける。
「陸……今日休みだよな」 「うん。風邪らしいって顧問の荒井が」
「……部活終わったら電話かけてみよーぜ？」
「つか、帰り家寄らね？ おじさんとおばさん、今日いないんだろ？ 寝込んでたら一人で大変じゃん」
俺は思考の全てをストップしてただその会話を聞いた。
「だな。あいつ意外と寂しがり屋だからなー」
笑いながら言う空。
「俺らがいってやるべきだよな」
笑いながら応える海。
「……やっぱ俺ら三人そろわないと落ちつかねーわ」
……たったコレだけ。たったコレだけの言葉なのに。妙に目頭が熱くなる。
気付いたら俺は二人の元へと駆け戻っていた。
「空……海………！」
思わず二人の名を呼んでしまう俺。
「……陸！？」
案の定驚いて辺りを見回すふたり。
「どこだよ？」
「隠れてんのか、陸！」
俺、お前らの前に、目の前にいるんだよ。
涙が頬を伝った。
「此処だって……俺此処にいる」
俺は二人の手を握った。伝わる体温。
「陸！？」
「お前そこに……」
「……居るんだよ、ここに。ここに……」
涙で出なくなりそうなかすれ声を出して、俺はただそれだけを繰り返した。
「見えないけど、お前らの前に居る……」
空と海は何かを察しているのかいないのか、ただ無言で繋いだ手を引き寄せて握り返してくれた。
「……わかるよ、お前は此処にいる」
なんで泣こうと思ったときに出てこなかった涙が、此処に来て一度に溢れ出てきたのかは知らない。
冷えたアスファルトの屋根を一滴、一滴と伝い落ちる涙が、丸い紋を残していく。
よかった。俺の存在までは消えてなくなりはしなかった。
俺の居場所はここにある。